命の砂時計

小学校の頃、同居していた祖父が亡くなりました。

私の記憶する最初の死別体験です。

七夕の短冊に祖父の延命を願ったことも鮮明に覚えています。

その翌月になくなりました。

その時、

「あー、神様っていないんだ」という失望が幼き心に刻まれました。

それからは、自分の都合で神様はいたり、いなかったり・・・。

(神様、ごめんなさい・・・)

以前、こんな話を聞いたことがあります。

「人間は寿命という砂時計をもって生まれてくる。その量は人によって違うんだ」と。

その砂の量が結局は問題なのだと思います。

多い人もいれば、ほんのわずかな人もいる。

本当に世界は不平等に満ちているなぁと感じます。

でも、

初めからその量を持って生まれてくるのなら、それはもうどうしようもない。

途中で量を増やすことはきっと神様でも無理なのではないか、と思います。

ただ、

たとえ量が少なかったとしても、

その砂時計は確かに存在し、静かにきれいにすべての砂が流れ落ちた。

その事実は、決して無くならず、残された人の砂時計を見守っているのではないかと思います。