今日は8月14日(水)お盆を迎えています。
まだまだ暑いですが、いくぶんか朝夕の日差しが和らいだような気がします。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私の子供の頃(40年ほど前)は、お盆は親族で集まり故人に手を合わせ思い出話に花を咲かせたものです。
子供心に、「おじいちゃんってそんな人だったんだ」と数少ない記憶に新たな記憶が重なり、
故人との繋がりを感じる時間でもありました。
今は、若い人も含め私達年代であっても、6割の人が「帰省ブルー」と言われ
実家に帰ることにストレスを感じているそうです。また、お墓参りに出掛けることも少なくなり
「個」でいることを尊重されるが故に、お盆という行事が希薄になってきました。
その世の中の流れも仕方がなく、忙しい現代においてはその行事も強要されるものでもないと思います。
また、「死」自体が病院や施設など、自分とはかけ離れた世界で起きる出来事である以上、
故人との繋がりを持つお盆という行事もまた、どこか他人事のように感じてもやむを得ないのだとも思います。
ただ、人は必ずどこかのタイミングで「病気」や「死」という苦難に出遭います。自分の、そして大切な人の
苦難を経て、自分の力ではどうにも抗えない大きな力があることを知り、「謙虚さ」を学びます。
さらに、自分1人で生きているのではないことを、故人を含め様々な人や物の繋がりを感じて
生きる様になります。
そしてそこから「手を合わせる」という感謝の気持ちが生まれるのではないかと思うのです。
生かされていることへの感謝、見守ってもらえていることへの感謝、様々な出会いへの感謝。
これまでの日本では、苦難を経験してきたおじいちゃん・おばあちゃんがそれらへ感謝しながら
手を合わせていた、その風景を見ながら子供達は育っていました。
しかし、今はその風景も見られなくなり「謙虚さ」を持って手を合わせることが少なくなりました。
ただ、それらの時間は自分の心を整えるために、とても大切で必要なものだと思います。
時や場所はともかく、自分の心の中で「謙虚さ」をもって手を合わせる、そんな時間を作って
いただけたら、苦難の中であっても心穏やかな時間が過ごせるのではないか、と思います。