悲しみの個人差  ~「それぞれ」のすすめ~

「一人ひとりの悲嘆はすべての悲嘆と似ている

 一人ひとりの悲嘆はある人達の悲嘆と似ている

 一人ひとりの悲嘆は誰の悲嘆とも似ていない」

以前読んだ本の中で書かれていた一節です。

カウンセラーとして、また社会の中で生きる人間として

忘れてはいけないなぁ、と時折思い返しています。

ついつい、悲しみを前にした人に対して

自分の経験値で、ありがちな言葉で慰めよう励まそうとしてしまいます。

ですが、

同じ死別であっても、状況はそれぞれで

悲しみを始めとする悲嘆反応も、その期間も人それぞれです。

一般に、病死より突然死が、親より子供の死がその反応も期間も

強く長いと言われていますが、それも個人差があります。

その人が置かれてきた社会的環境や育ててきた愛着状況、意味生成など、

悲嘆は様々な要因によって個人差が大きいのです。

ですから、

お話を聞いていても、本当に同じお話など1つもありません。

「本当に人ぞれぞれだなぁ」と

いつも思います。

そしてその個人差が、「理解されない」という孤独の原因でもあり、

カウンセラーとして共に寄り添う部分であると感じています。

悲しみと共に生きていけるようになるには

時間がかかります。

そしてその生き方は人それぞれです。

ですから、焦らなくていいし、他人の言葉を必要以上に受け止めなくていい。

いつか、心の中にその悲しみを置いておける場所ができるまで

ゆっくりやっていけばいいのです。