大切な人の死を乗り越え、前を向いて生きるということはとても大変なことで簡単にできることでは
ありません。その人が大切な人ならなおのこと、それは困難を要します。
周りの目もあって、自分の苦しさもあって、「早く乗り越えたい」と思うのも自然のことです。
しかし、死別の「乗り越える」は、その悲しみや苦しみから目をそらすことになるため、またそこには
忘却も含むため、さらに苦しみを増強させてしまいます。
なぜなら、大切な人を喪う悲しみや苦しみは目をそらせばそらすほど自分の中で大きくなり、より一層
それらに襲われることになるからです。さらに、故人は簡単に忘れることができる存在ではないため、乗り越えようとすればす
るほど、故人の存在も大きくなっていきます。
ですから、無理に大切な人の死を乗り越えなくていいと私は思います。
悲しみや苦しみと共に生きることは痛みを伴いますが、その中で多くの故人との想い出に立ち返り、また心の中で故人と数多の
会話を重ねていくうち、長い年月の先に自然と心の中に故人の居場所が出来、そこに悲しみや苦しみを収めておくことが出来る
ようになっていきます。
それは、大切な人の死を乗り越えるのではなく「故人と共に生きる(悲しみや苦しみと共に生きる)」という
覚悟から得られる安らぎの時間なのではないかと思います。